最高裁判所第三小法廷 昭和57年(行ツ)169号 判決 1984年4月24日
上告人 大江政雄
右訴訟代理人 板下誠
吉川正也
末神裕昭
被上告人 森山貞雄
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人板下誠、同吉川正也、同末神裕昭の上告理由について
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、訴外浜益村が支出した弁護士費用のうち上告人個人を被告・被控訴人とする損害賠償請求訴訟に係るものは違法な公金の支出にあたるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原判決を正解せず、又は独自の見解を前提として原判決を非難するものであつて、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治 裁判官 安岡滿彦)
上告代理人坂下誠、同吉川正也、同末神裕昭の上告理由
第一一、上告理由の趣旨
原判決には、法律の解釈及び適用を誤つた違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
さらに、原判決には審理不尽、理由不備の違法がある。
二、本件の争点
本件は地方自治法(以下地自法という)二四二条の二第一項四号による住民訴訟たる札幌地方裁判所昭和五二年(ワ)第一三四九号損害賠償請求事件(以下たんに別訴事件という)に端を発する。すなわち、別訴事件は、北海道浜益村村長である上告人が同村の代表者たる機関として行つた廃棄物収集運搬業務委託契約締結のための競争入札行政をめぐつて、被上告人を代表者とする原告たる浜益自動車運送株式会社(以下たんに浜益自動車という)から、同社を入札指名業者から除外したことは、上告人の個人的感情に基づく違法な職務執行行為であり、上告人個人につき不法行為を構成するとし、それを理由として損害賠償請求をした事件であり、別訴事件の結果は、第一審判決は昭和五四年四月一三日言渡され、被告たる本件上告人の全面勝訴となり、浜益自動車は控訴したが、後日訴を取下げ、事件は上告人の勝訴で確定している。
しかして本件は、上告人が別訴事件の控訴審の訴訟追行を坂下弁護士に委任し、その手数料を村の負担において支出したことが違法な公金支出に該当するか否かを争点とするのである。
三、原審の判断
原審の判決は、「特段の事情」がある場合には、村が村長たる個人訴訟の応訴のための弁護士手数料を負担し、公金を支出することを適法正当化する余地があることを認めながらも、結局、第一審の判断を支持して地自法二〇四条の二を適用し、本件公金支出は職員に対する法律、条例に基づかない給与その他の給付に該当するから違法である、と判断し、上告人の主張をしりぞけたものである。
しかし、右判断は同法の解釈、適用に誤りがあり、かつ右「特段の事情」につき審理、判断しなかつた点につき理由不備の違法があるものである。
第二上告人の主張
一、本件上告人に対する公金支出は、地自法二〇四条の二にいう給与等には該当せず、同法二三二条の二にいう公益上の必要に基づく補助金として支給されたものと解釈すべきで、適法な支出であつた、と解すべきである。
ところで、地自法二〇四条の二は、従前地方公共団体の職員に対する給与等の支給の基準について十分に整備された法律が存せず、単なる予算措置のみで、あいまいな給与支給が行われていたことに鑑み、昭和三一年、法を改正して右条項を新設し、地方公共団体がその職員に対して支給する給与等は、法律に直接根拠を有するか又は法律に基づく条例によつて支給する場合に限るとして給与体系の整備を図つたものである。
従つて、同条はその給付が給与、賞与、手当等の名称いかんにかかわらず、職員の職務に対する対価報酬たる性質を有する場合に限つて適用される条文であり、それが適用されるためには、公金の支出と受給者の職務そのものとの間に因果関係が存することが必要であつて、職員たる身分を有する者が受け取る公金のあらゆる金銭について無制限に適用があるものではない。最も分かりやすい例を挙げれば、地方公共団体が水洗トイレの普及促進のために住民に対し工事費の一部を補助する場合、その公費支出は職務の対価としての性格が無いのであるから、この住民が職員の身分を有していたとしても、その一事を以て同条に違反する違法な公金支出ということはできないのである。
しかも、同条の適用あるがためには、公費の支出と職務との間に対価、報酬としての関係が必要であつて、何らかの因果関係があれば足りるというものではない。
二、これを本件にみるに、本件弁護士手数料名下の公金支出は、上告人が職務の執行行為にそもそも端を発するものとはいえ、上告人個人の別訴応訴行為そのものが職務行為であるわけではなく、本件の公金の支出が形式的にも実質的にも上告人に対する職務の対価報酬としての給付ではないから同条にいう給与等の支出とは到底言えず、そもそも公金支出についての同条の規制を受けないものといわざるを得ない。
従つて、原審の判断は同条の誤つた解釈に基づきこれを不当に適用したもので判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決はその破棄を免れない。
三、以上のように本件弁護士手数料の支払は、二〇四条の二の適用であるならば、むしろ同法二三二条の二に基づく補助金として適法な公金の支出であつたと積極的に解釈すべきものである(参照、静岡大学法経研究三一巻一、二号丸山健先生退官記念論文集(上)三三頁関哲夫・住民訴訟における応訴費用負担)。
その理由とするところは、まず一般的に本件の様に地方公共団体の機関の地位にある個人がその職務執行行為に関して訴えられた場合に、その応訴費用を事案のいかんを問わずすべて個人に負担させることには次のように現実的な重大問題があるからである。
1(1) 本件のような訴訟は、本件がそうであるようにしばしば明らかに理由がないのに、いやがらせの手段として、あるいは政争の具として利用され、さらには、いわゆる訴訟マニアの自己満足の手段として利用され易いものであること。
(2) 今日の広範な行政活動からすれば、機関の地位にある個人が、その職務執行行為に関連して別訴事件のごとき訴訟を提起される可能性は、極めて高く、その個人負担を放置すれば公務員としての志気を損なうものであり、その経済的負担を軽減させて公務の円滑性を確保することは公共団体自体に重大な公的利益があること。
(3) 地方公共団体の機関の地位に就いたために、たびたび応訴せざるを得ないのでは、機関個人の経済的負担があまりにも大きくなり、個人にその支出を強いることは酷に過ぎること。
2 確かに個人を相手とする訴訟の応訴費用は、その個人が負担支出すべきであることは、一般に法律の原則論として是認されるところであるが、前述した問題点に鑑みるならば、すべての場合に形式的にこれを適用することはできず、原審が認めているとおり特段の事情がある場合には、地方公共団体に応訴費用の支出負担を認める公的必要性が存在しているのであるから、その支出を許容することこそ、法的正義に合致するものと言える。
かかる実質的公平の見地から現実に公金を支出している事実も多く、この立法的解決を強く希望する声が多く聞かれるところであり、また学説も事案によつては普通地方公共団体が負担すべきであると主張しているのである(長野士郎著「逐条地方自治法」八九六頁)。
3 それでは、いかなる場合に機関個人の応訴費用に対する当該地方公共団体の公金支出が許容されるか。
この点は、判例及び学説において、確定したものはないが、少なくとも次のような事情が存在している場合には、地自法二四二条の二の補助金として支出することが許容されると解すべきである。
(1) 個人に対する訴訟の、その主たる実質的争点が機関としての職務執行行為の適法性、正当性にあること。
この点を実質的訴訟物とする訴訟に応訴することは、行政の拡大、多様化、一方で住民の権利意識の高揚という現代行政のすう勢からすれば、機関としての職務執行行為を行う限り、避けることができないものであり、これをすべて形式的一般論をもつて個人の法律生活分野に帰してしまうことは、最早近時の行政では許されないことである。
本件の如き場合、地方公共団体は個人訴訟に補助参加できる可能性が十分あり、その手続のため別に弁護士手数料を支払うことが許されることを思えば、あえて、その途を選ばず直接機関たる個人に補助金を支出することができるとして何ら不都合はないのである。
(2) その職務執行行為が適法、かつ正当であること、または、当該訴訟に勝訴していること。
(3) 公金の支出の額が必要かつ妥当なものであること。
(4) 議会の承認議決等支出の形式的手続が完備していること。
4 以上の要件を満す個人に対する訴訟の応訴費用の公金支出負担は、地自法二三二条の二によつて、個人に対する補助金として、またはそれに準ずるものとして支出が是認されるべきである。
確かに同条は、本件の如き場合の支出を直接に予想する条文ではないかもしれないが、積極的にその適用を排除する理由は見当らず、むしろ現実的な公益的必要性から、現在ある条文を最大限活用すべきであつて、その適用を認め、補助金の形で公金支出を認めることが妥当である。
四、以上述べた法解釈を前提に本件事件を検討する。
1 まず、前記第一の要件である別訴事件の争点は、次のようなものであつた。
上告人が村長をしている浜益村は、石狩地区一円の廃棄物の収集、運搬、処理を目的として設立された地自法二八四条による一部事務組合である北石狩衛生施設組合から、浜益村の区域における廃棄物の収集運搬業務を行うことを委ねられていたものだが、上告人は昭和五二年度の右業務受託者選定のための指名競争入札に際し、被上告人に村税滞納、村有地の不正使用等の事実があり、その正当な理由をもつて、その経営する浜益自動車を指名業者から除外したのであつた。
被上告人は上告人の指名除外の行政行為をとらえ、上告人が被上告人に対する私怨をはらすためなされたもので個人的に不法行為を構成するので損害賠償の責任があると主張するものであつた。上告人の指名除外行為が適法正当なものであれば上告人に不法行為が成立する余地はないのであるから、別訴事件の訴訟物の実質的内容はまさに上告人の職務執行行為の適法性、正当性そのものである。
このことは別訴事件の被上告人の主張自体及び判決が認定しているとおり明らかな事実である。
2 次に第二の要件についていえば、第一審で被上告人の請求に棄却判決がなされて控訴審では訴の取下により確定している事実からしても判るように上告人の指名除外行為は適法正当なものであり、他にこれを違法とする理由は全くない。
3 さらに原審が認定した上告人に対する支出公金額は三五万円であつて、この額は別訴事件の態様内容からみて妥当な額であり、この点からもこれを違法な支出ということはできない。
4 最後に本件公金の支出は、村議会の承認議決を得ており、その支出手続に瑕疵はなく違法な点はない。
5 結論
以上のとおり、上告人に対する本件公金の支出は地自法二三二条の二の補助金として支出する要件をすべて満すものであつて、本件上告人に対する村の公金支出は同条の補助金支出として、これを適法として是認すべきである。
第三よつて、原判決が漫然と地自法二〇四条の二を適用し、かつ地自法二三二条の二の適用要件を審理せず、被上告人の請求を認容したのは、法令の解釈適用に誤りがあり、審理不尽、理由不備の違法があり破棄を免れない。